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日本で最初のゴルフコースはどこ?~ニッポンのゴルフの夜明け~ぜひ知っておきたい誕生秘話

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ゴルフを愛する皆さんは、ゴルフに関する知識欲が旺盛です。

ゴルフが好きになると広い範囲で気になることばかり、トーナメント情報から応援しているプロゴルファーの生い立ちからの選手名鑑まで知りたくなるのも当然です。

 

まだまだあります。

マナーといいますかエチケットはもちろん、打ち方のテクニックや最新のギア情報には敏感な方は珍しくありません。

そして多くの方がゴルフに関する雑学や薀蓄(うんちく)の楽しいエピソードを求め、ゴルフ仲間が集まるといつもそんな話題で盛り上がります。

 

今回は日本のゴルフの夜明け前から黎明期のことを詳しくご紹介します。

世界のゴルフの歴史や起源について詳しい方も、日本国内ではどういったいきさつでゴルフは誕生し普及していったのか、意外と知られていない話も登場します。

日本のゴルフの誕生秘話を知ることで、あなたはますますゴルフへの憧憬を深めることでしょう。

 

日本のゴルフコースが生まれる前の知られざるエピソード

世界各地のゴルフの歴史を探っていると、ほとんどイギリス人が絡んでいます。

 

日本に初めてイギリス人が漂着したのは1600年でした。

その人物の名前はウィリアム・アダムス、オランダの船(リーフデ号)で渡来し徳川家康に謁見して、そのまま亡くなるまで江戸幕府に仕えました。

別ページの「世界のゴルフの歴史と起源」で解説した通り、1457年にはスコットランド国王ジェームズ2世が発令した「ゴルフ禁止令」が出たくらい盛んだったゴルフですから、彼が知っていた可能性はゼロではありません。

 

その後1613年から平戸で日英の朱印船貿易(鎖国する1623年まで)が始まりました。

このころのアメリカでは「ヴァージニア植民地~ニューイングランド建設」が始まっていました。

 

その時活躍したアダムスは、家康から直々に「三浦按針」という名前と領地を拝領しています。

もしかしたら家康とお茶でもしながら「ゴルフ」の話題くらいは出た可能性がないわけではありませんね。

 

「ニューヨーク」の語源と「八重洲」の語源

余談ですが、江戸幕府に仕えたアダムスの同僚にオランダ人のヤン・ヨーステンがいます。

彼は江戸城の外に屋敷を拝領しましたが、その土地が今の八重洲で、地名は彼の名前からとりました。

 

ちなみに1688年の名誉革命で廃位されたイギリス王ジェームス2世は知る人ぞ知るゴルフの達人でした。

世界初の国際的なゴルフ大会で、スコットランドを打ち負かしています。

 

 

彼は即位前の名前が「ヨーク侯」でした。

1664年にヨーク侯の命令で派遣されたフリゲート艦4隻は、オランダが40年間支配していた当時のニューアムステルダムを戦わずしてイギリス領としました。

 

その時にヨーク公の名を取って「ニューヨーク」と改名されたのです。

 

1898年に六甲山山頂で語られた「ゴルフ」が引き金

アダムスが江戸幕府に仕えた268年後、維新で武士社会が崩壊し開国します。

すると多くの外国人が船で渡来し対日貿易を始めました。

 

維新から30年後、1898年夏の神戸・六甲山頂、アーサー・ヘスケス・グルームの別荘でした。

 

グルームは坂本龍馬と商取引していた長崎のグラバー商会で知られた、トーマス・ブレイク・グラバーとも繋がっています。

横浜や神戸で記者とか商社を営む友人たちがたまの週末招かれ、ウイスキー片手に遠い故国の思い出話をしていました。

 

たった一言が日本にゴルフコースをもたらしたという事実

「あ~、ゴルフがやりたいなぁ。どうだい、君たちも同じだろう?」

 

多分そんなことを口にしたのでしょう、スコットランドもセントアンドリュース出身のミルワード・アダムソンでした。

このたった一言が、いまの日本のゴルフのすべてに繋がっているのです。

 

この言葉、思えばあなたも良く口にしているのではないでしょうか?

だれでも好きな人の思いは一緒ですね。

 

ほとんど知られていませんが、日本のゴルフ開祖グルームはスポーツ万能でした。

ところがグルームは当時全くのゴルフ音痴でした。

たった一度もゴルフのクラブを持ったことはなかったのです。

 

縁は異なもの、その後アダムソンの熱意でゴルフ場作りを始め、完成以降グルームが日を追ってゴルフに嵌っていったのです。

 

日本人女性とお見合いをしたグルームは子だくさん

アーサー・ヘスケス・グルームは1846年9月22日にロンドンで生まれました。

21歳の時、グラバー商会で共同経営者の兄フランクを頼って日本に来ました。

 

当時ホテルはなく旅館ではどうもというので、兄が紹介した善照寺に身を寄せました。

寺の住職が佐々木祐法、彼はホームシックにでもなったのか元気のないブルームを呼んで見合いをさせます。

そのお見合いは大成功、大阪玉造生まれの士族の娘(宮崎直=当時18歳)とあっという間に結婚となりました。

 

このご夫妻は、今の少子化の時代では聞いて驚く15人の子持ち(孫は35人)になります。

6人は生まれて間もなく死亡したようです。

 

 グルームの住宅跡地はフェリス女学院

グラバー商会は維新の2年後、1870年に倒産しましたが、グルームはその後お茶の取引で大成功します。

彼の神戸の製茶工場には専用の窯が700個以上ありました。

 

先ほどのゴルフ場造りの話が出た1898年の前年には、神戸の外国人居留地内のホテルを買収して社長になっています。

こちらも大繁盛して経済的に余裕があったからの発想でした。

 

もし、グルームが少し後の時代のようにホテル経営が悪化したりしていたら、日本のゴルフの夜明けはもっと遅れたかもしれませんね。

彼の住宅跡が今のフェリス女学院です。

 

1918年1月9日、泥酔したグルームは神戸外国倶楽部の石段で躓いて転倒、あっけなく72歳の生涯を閉じました。

なんだか亡くなり方が、初期の全英オープン覇者のトム・モリスにそっくりですね。

 

グルームがゴルフ場つくりに傾倒した理由

ミルワード・アダムソンがゴルフコースつくりを提案した年の10年前には、アメリカでニューヨーク郊外に100ヤードのコースが完成していました。

アダムソンから「香港ではゴルフがかなり盛んだそうだ」、そう聞いたブルームは実業家として多いに触発されました。

 

さらに、生まれた子供たちが次々に6人も死んだのは、自分の趣味の狩猟で六甲山のシカ、サル、キジなどの動物を殺した報いだと強く感じていたそうです。

グルームは激しくうなされる夜があったという話を、佐々木祐法住職が語っています。

そんな罪滅ぼしの気持ちが手伝った可能性もあります。

 

このような複数の動機があって、グルームの日本でのコース造りが始まりました。

 

困難を極めた日本のゴルフの夜明け前

グルームの別荘は3つの村からの借地で、1万坪あったそうです。

グルームは別荘に隣接する土地を竹谷清介という人物から12万坪(≒40万㎡)借ります。

グルーム自身と仲間は、生い茂る灌木や雑草の除去をして結局的に開墾しました。

 

とにかく別荘周辺の土地は岩山でした。

現代のように重機で工事しても大変な場所をすべて人力、日本のゴルフの夜明けは死者を出したほどの難工事だったようです。

3年の月日をかけ、ついに1901年、4ホールのコース(パー3コースに近い)が完成します。

 

これがアメリカに遅れること15年、日本で最初のゴルフコースです。

奇遇にも球聖ボビー・ジョーンズが1902年に生まれ、1903年に9ホール、1904年(明治37年)に18ホール(3,576ヤード)完成と歴史は繋がります。

正式には1903年2月27日、神戸商工会議所で「神戸ゴルフ倶楽部(KGC)」の設立総会が開かれ、これがわが国初のゴルフ倶楽部ライフの誕生でした。

 

この年の5月24日にこのコースで開催された「Challenge Cup」が、日本で最初のゴルフ競技ということになります。

開業時の会員数約130名(日本人は7名)、コース設計は先ほど登場したグルームの友人たちのアダムソンとマクマートリーでした。

 

グリーンはなんと砂で固めたサンドグリーン

このコース、記録を見て面白いのはグリーンです。

芝草など1本もないすべて砂を固めただけのサンドグリーン。

砂にオイルを撒いて造成されてあるため、日々コンディションが変わって大変だったようです。

 

そのため、グリーンに止まったボールの場所から、ライン上を手で均すことを許すというローカルルールがありました。

さらにボールがグリーン外へ転がり出てしまうのを防ぐため、グリーン周辺は土俵のように30cmほどの砂の土手を作りました。

その近くに止まってパッティングできないときは、シューズ2足分だけカップに近づいても良しとするルールもあったようです。

 

日本のゴルフの歴史を歩み始めた神戸ゴルフ倶楽部

 

神戸ゴルフ倶楽部は1929年にほぼ現在の形態に近いパー3とパー4のみでパー61になります。

場所が険しい山頂ということもあって、キャディバッグに入れられる本数は10本までと決まっていました。

プレイはメンバー同伴か紹介が基本で、日本には少ない名門中の名門ですからドレスコードもかなり厳しい決まりが今でもあります。

 

格式と歴史と風格を備えたクラブハウス(写真)は1932年に建てられ、設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズが熱意を込めたもので、近代化産業遺産に指定されています。

当初のサンドグリーンというラフなゴルフコースが芝生になり、形を整えたのはその後の1933年(昭和33年)でした。

さらにベントグリーンが完成したのは1948年です。

 

日本のゴルフの誕生秘話のまとめ

神戸ゴルフ倶楽部ができると、多くの外国人がプレーに訪れました。

神戸駅から人力車と籠(かご)を乗り継いで山頂へ向かったそうです。

 

数本のクラブを手にして、ゴルフコースに向かう彼らの様子を当時の日本人はこう不思議そうに見ていました。

耳かきの大きな木杖(クラブのこと)を抱えた異人さんたちだと。

なんやら山に入って、雨でも風でも寒い日も暑い日も、得体のしれないことを一生懸命やってはる。

そんなにあの遊びは儲かるんかいな?賭けでもしているんやろうと。

 

神戸ゴルフ倶楽部六甲コースは戦争で一時閉鎖されたり、米軍に接収されたりしました。

日本最古のコースは幾多の困難と、ここまで書いてきた数々のエピソードを残しつつ今も健在です。

まさに日本が誇る文化遺産として大切にしたいものです。

 

神戸ゴルフ倶楽部でキャディを務めたのちプロになった方は宮本留吉さんと福井覚治さんがいます。

福井さんは倉本昌弘さんの師匠筋に当たります。



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