ボールを打ってカップに入れるという、どこか2~3歳の幼児でも好きになりそうな遊び、ゴルフはそういう表現もできます。
西暦で2000年を超えた今、世界中で数億の人々が今日もどこかでふっかふかの芝生の上を歩きながらゴルフを楽しんでいます。
初心者の方はプレーに夢中かもしれませんが、好きになればなるほどゴルフの歴史や起源のことを知りたくなります。
人が誰かを好きになった時と同じですね。
お誕生日はいつ?故郷はどこ?子供のころはどんなことして遊んだの?、などなんでも聞いてお互いに知識を共有したくなります。
やがてほんのりとした薄紅色の愛情は、徐々にその色を濃くして熟していきます。
今回は2000年にわたるゴルフの歴史について概略の解説をします。
ゴルフの歴史を辿ることはとても興味深く幅広いのですが、今回は無数にある起源説の中から支持が多い説のご紹介です。
ゴルフが好きになったあなたにとって、ゴルフの歴史や起源の薀蓄(うんちく)を知ることでますます憧憬が熟し、ワンショットごとにゴルフの楽しさが増幅することでしょう。
ゴルフの発祥はいつ?どこ?誰が?謎の起源
そもそも「ゴルフ」とは?なんと定義したらいいのでしょうね。
大辞林やWikipediaにも、道具を使っていかに少ない数で穴に入れるかの競技としかありません。
人類の直近数千年の歴史を振り返るとき、ゴルフの発祥は誰がいつどこでなのかが明確でないのはその定義があまりにも単純だからですね。
つまり、どこからがゴルフかという点でいろいろありすぎて、いまでは数億の人々が興じているスポーツも、いつどこでという発祥に関する説は数多くあります。
しかし、ゴルフの故郷や誕生日はわからなくても、今日まで歩んできたゴルフの歴史は1本の道の上にあります。
次回のプレーでは、そんな知識を携えてティーインググラウンドに立ってみてはいかがでしょうか。
なんと紀元前にゴルフの卵があった!その名は「パガニカ」
「パガニカ(Paganica=パガニア)」という球戯があったことは歴史的に認められています(写真左上)。
いまからなんと約2,100年も遡る紀元前1世紀ごろ、ジュリアス・シーザーのローマ帝国時代でことでした。
写真のように木の根っこが丸く削られて曲がった棒、または木の杖のようなもので丸いものを転がすゲーム(?)のようです。
丸いものは5インチ前後(12~13cm)で、より確かな検証から革製で中に羽毛が詰めてあったようだという記録があります。
驚きですね、もし確かなら数百年後のフェザリーボールの前身ということになります。
ローマ帝国時代、クラウディウス・アルビヌス将軍(別な説ではユリウス・アグリコラ将軍)がその球戯に夢中だったという記録があります。
アルビヌス将軍の足跡を調べてみました。
将軍はトルコに始まり、その後はフランス、オランダの後今のロンドン付近に1年駐留します。
さらにエジンバラで2年を過ごしてローマに戻りました。
その後再びスコットランドに2年滞在しています。
ローマ帝国は欧州全域に拡大し、将軍が周辺諸国を征服するごとにパガニカが広がったという見方なんですね。
最近もそれを裏付ける記録がさらに出てきて、ローマ時代の研究が盛んになっています。
ゴルフは「遊び」から「競技」へ自然に推移する
先ほどの「パガニカ説」いかがお感じになりましたか?
仮にもローマ帝国の将軍がねぇ?という方もいらっしゃるかも。
でも逆から見て、これほど単純極まりない「遊び」だから夢中になれるともいえます。
すこし離れて「スポーツ」を眺めると、例えばマラソンも含めたトラック競技、砲丸投げとかやり投げなどのフィールド競技、道具を使う弓道とか綱引きやカヌーやカヤック、どれを見ても原始的なものが大半です。
結局「遊び」と「競技」の差はなにか?という話になります。
それぞれのスポーツの共通点は、ルールという決め事があるということです。
子供達でも夢中になれる「遊び」に”ルール”を加えることで人間本来の闘争心が燃え競うという点で「遊び」から離脱します。
道具を使ってボールを打つゲームは数多くあります。
たしかにこの「パガニカ説」、穴に入れるという点で”ゴルフの起源”とまではいえないにしろ、自然発火した小さな火種だったことは間違いないようです。
ゴルフは中国からという起源説
最近中国のある学者が五代十国時代(907-960)からあったという説を唱えていてビックリです。
もうすこし信用できそうなのもあります。
中国では南唐史書『丸経(わんちん)』に「捶丸」(チュイワンまたはスイガン)という言葉が残っています。
中国ゴルフ協会と故宮博物院は、12世紀の北宋時代にゴルフの原型となった球技「捶丸」が始まっていたと発表しています。
2004年には文献などに基づいて復元した木製クラブやボールを公開しました。
捶丸は中国語で球を打つという意味(漢字では孔球)ですね。
元の時代に入ると貴族の遊びとしてルールも確立し定着、故宮博物院所蔵の明代の絵画(17点)にも捶丸で遊ぶ姿が描かれているという主張です。
面白いのは丸いものを地面の穴に向かって打つのではなく、樹木に直径数十センチ(?)ほどの丸い空間を作り、その空中を通す遊びだったようです。
いずれにしろ、アメリカ大陸の発見は中国人、サッカーも中国からだと主張する人達ですから、この東スポに掲載されそうな説は何とも解説のしようがありません。
ゴルフの発祥地はスコットランドであるという定番説
良く知られた発祥地説にスコットランドがあります。
スコットランドに素晴らしいゴルフコースが根付いたのはいくつかの理由があります。
スコットランドは入り組んだ海岸線が続きます。
冬は寒風吹きすさぶ土地です。
英国では昔から羊(ウール)の需要が高く、海沿いのリンクスにはたくさんの放牧場がありました。
長い年月を経て強風が海の底から砂や泥を巻き上げ、地面に堆積させます。
そこに打ち上げられた貝を食べに集まった膨大な数の鳥たちが糞をしたために、土地そのものが肥沃になりました。
リンクスの自然がゴルフコースを作った
そこへ草花の種が飛んでくるから自然に草原となります。
この土地には今も害虫がほとんどいないからメンテナンスもあまり要りません。
芝草は伸びるとそこへ兎や羊が現れ、ちょうどいい長さになるまで草を食(は)んでいってくれました。
リンクスは海沿いなので土地全体がなだらかです。
このようにしてリンクスコースは神が作ったゴルフ場として、大自然の大いなる振舞のなかですくすく育ちました。
リンクスとは「陸と海の分水線」という意味で、地元の人たちは良質な土壌に草や芝が生えた河口の土地のことを指してそう呼んでいました。
リンクスに良いコースができた理由とは?
羊飼いが羊を追うときに使う先の曲がった棒をリードといいます。
ある日一人の羊飼いが退屈紛れにリードでその辺にあった小さな小石を打ち飛ばしました。
するとその小石は偶然にも、数十ヤード先にあった野ウサギの巣穴の中へスポッと転がり込んでいきました。
これは面白いわ!ってなことで、続けて何度もやってみましたがうまくいきません。
脳裏に残るあの達成感が味わいたいと、毎日毎日ヒマさえあれば繰り返していると自然にウデも上がります。
ホールイン確率が上がってくると、「もっと良いリードを作ったらいいんではなかろうか」となりギアの工夫が始まります。
そうなればもう勢いは他の仲間に見せたいわ、仲間と競いたいわとなるのは自然の成り行きです。
こうしてゴルフの原型ができたという流れです。
壮大なゴルフの歴史と起源・前編のまとめ
まさに壮大なゴルフ発展の大河ドラマのようですね。
スコットランドがゴルフの起源かどうかは明確ではありませんが、ゴルフの故郷であることは間違いありません。
セントアンドリュースにはゴルフの総本山、R&Aが現存しています。
そしてそのセントアンドリュースという名コースには設計者がいません。
デザイナーは自然です。
セントアンドリュースは、1834年国王ウイリアム4世から「ロイヤル」を授かり、「ロイヤル&エイシェント・ゴルフクラブ・オブ・セント・アンドリュース=R&A」に改名しました。
この後は核心に迫る、「ゴルフ」が歩いてきた道を辿っていく後編と、日本のゴルフの黎明期もあります。
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2000年にわたる壮大なゴルフの歴史と起源に迫る(後編)
ゴルフの起源は様々な国・地方で諸説あります。今回はその中でも有力である説について、その理由をお話しします。